今回は発達障害に気づかずに社会に出てしまった女性のお話です
就職氷河期のうえ私もうつで体調が悪かったのですが、大学を卒業してすぐ親のコネで非常勤の大学事務職員になりました。
隣の席に座っていた正職員の男性からパワハラを受けました。
就職したその日から冷たい目で見られ、仕事は何も教えてくれず。2ヶ月、3ヵ月と経つほどに加害者のパワハラはエスカレートしていき、わざと仕事の失敗をするように仕向ける、怒鳴り散らす、書類を私に向かって投げつけるなどです。
私は10ヶ月程で退職する決意をしましたが、退職の意思を伝えて数日後、仕事のことで酷く怒鳴り散らされ、出社拒否になりました。
原因は何だと思いますか?
私のADHDの症状は幼少期より対人関係に関する事ばかりでした。
初めての就職先であった大学事務の職場でも無意識のうちにかけ違いは起きていたと思います。
しかし、本件については私の親が大学教員であり、その娘である私が非常勤職員として事務室に来たことで、加害者の正職員のいいカモになってしまったような部分もありました。
初めての就職先で起きた事だったので、「初めての就職なので怒鳴られても仕方ない。」と考えてしまっていました。両親には相談しましたが、基本は自分一人で辛抱していた感じです。
当時、どのように振る舞うべきだったと思いますか?
大学4回生から体調不良で就職活動どころか毎日の生活も大変だったのに、無理に就職してはいけなかったと思っています。
世の中も発達障害の定義がまだ明確に出来上がっていなかったころ。
職場の中でできる対策は何もなかったでしょう。
今は、診断を受けて障碍者手帳も持っていますので、オープン就労でかなりの部分が解決すると思いますが。
今回のことを通して、他の発達障害者にメッセージはありますか?
現在は発達障害について広く知られるようになり、幼少期に診断を受けている方も増えていると思います。
しかし、大人になっても気づかずに躓きながら、苦しみながら生きている方もまだまだ多いでしょう。
幼少期に診断を受けている方はそれなりの立ち振る舞いも身に付いていると思いますが、心配なのは大人になってから気づき、診断を受けた方の事です。
障害種に関わらず、障害者の就労は大変です。
しかし、現在は障碍者手帳やキャリアカウンセリングなど、いろいろなサポートが充実しています。
これらは積極的に利用して下さい。
あと、もし身近にあれば当事者会への参加をお勧めします。
現在の状況や今後のことを教えてください
昭和生まれなので診断を受けられたのは30歳を過ぎてからでした。
そのため本件エピソードのあと11回離職しましたが、今は安定して仕事に就いています。
仕事に就いてはどんどんレベルアップして、もっと稼げるようになりたいです。
仕事が安定すると気持ちも安定しますね。
以前から趣味はありましたが、現在は更に充実し、筋トレや自宅の部屋でできる気軽なスポーツにも取り組むようになりました。
必要なお金を自分を稼ぐことはもちろん、現在も将来も「私はこの仕事をしています!」と胸を張って言える自分でいたいです。
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