つい先日発達障害が発覚したカメラマン女性のお話|これからはどれだけ自分自身を理解してあげるか

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今回は23歳カメラマンの女性がADHD・ASDと診断されるお話です

 

発達障害がわかった原因はどんなものだったんですか?

会社でミスが続いたことですね

周りと合わせることが難しいと感じ始めたのは中学生の頃です。
当時、バスケットボール部に入っていましたが仲間からのいじめを受けたり、女子特有の共感が多い会話についていけなかったり、集団行動がとても苦手でした。

専門学校を卒業して社会で働き始めたときから、周りが平然とできることに対してミスを連発してしまったり、1日のスケジュールを組めなかったりと仕事に支障が出るようになっていきました。

もしかして他の人と違うのでは?自分がポンコツなだけか?と違和感を感じました。

そして転職し、カメラマンとして働いたときも受付の業務で電話対応につまづき、違和感の正体がわかればと病院へいきました。

正社員として働き始めて2ヶ月経ち会社にやっとなじみ始めていたときでした。

病院ではどうでしたか?

病院へは家族や周りへは言わずひとりでいきました。
大都市の大阪の市内でさえ発達障害の検査をしている病院が少なく、さらに初診を受け入れしている病院を探すのは結構時間がかかりました。

初診が先月になるので、半年後には手帳の申請をして障害者雇用も視野に入れようと考えています。
病院の担当の先生は申請せずとも、まだ若いし正社員でなくとも派遣でならプレッシャーも少なく働けるし、まずはそこから頑張ってみない?というスタンスでした。

他の人にカミングアウトはしましたか?

上司と両親へカミングアウトしました

発覚してから、すぐに職場の上司へ相談しそのあと両親へカミングアウトしました。

上司は発達障害については始めて聞いたそうでしたが、どんな症状があるのか、周りがフォローできることはあるか等とても親身に話を聞いてくださいました。

ただ正社員のお給料をもらいながら周囲の配慮を受けることに申し訳なさを感じ、また業務時間の長さと休みの少なさから退職を選びました。
両親は打ち明けて、どんなことに対して障害を感じるか伝えましたが、今まで普通に馴染めていたように見えていたからか理解を得られているかは微妙なところです。

昭和の大変な時代を生き抜いて、発達障害という概念すらなかった時代からすればただの個性、繊細なだけと捉えられても仕方ない部分はあるかと思いつつ少し寂しく感じるときはあります。

診断前後の生活はどうでしたか?

現状は診断前と特に変わりません

まだ発覚したばかりなので、まだまだこれからどう向き合っていくか試行錯誤しているところではあります。
現在は身体を休めつつ、負担が少ない仕事から少しずつ始めようと思っているところです。

発覚前と比べて、自分の努力不足でできないことが人より多いと思って、辛かった部分が少し楽になりました。
自分の得意不得意がわかり、向いてる仕事向いてない仕事もわかり、選ぶ職種に迷いもなくなったと思います。

過去の自分や、他の障害者の方に伝えたいことはありますか?

ミュニティが生活の全てではないよ。いろんな生き方を知ってね

学生時代の自分は、女子の輪に馴染めずコミュニケーションが難しい、会話が続かないなど思春期にはつらい壁がたくさんあったなと思います。

落ち込むことは今でもたくさんありますが社会に出れば本当にいろんな人がいて、いろんな生き方があると知ることができました。

学生時は学生同士のコミュニティが生活の全てでそこに入り込めなかったら終わりと思っていた部分を、そうでもないよーって言ってあげたいです。
人より傷つきやすかったり、人の言葉に左右されやすく、沢山のエネルギーを使ってしまうから人よりも休憩する時間が必要なんだよって伝えたあげたい。

あとははやめに病院にいって検査を受けるべきですね。

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