今回は42歳の男性が発達障害を自覚し、どんな心境の変化があったのかのお話を紹介したいと思います
幼少期から得意不得意がはっきり分かれていた
NHKのラジオで、発達障害の人が自分の障害について話していて、それを聴いていて自分がこれまで感じてきた生きづらさを思い返し、ひょっとして自分も発達障害ではないかと疑いを持つようになりました。
2011年の秋でした。
しかしその後、日本の仕事をやめて中国北京に6年間行っていたので、その間は病院に行って診断してもらう機会もなく過ごしました。
私の場合、どこかの場面で「発覚」したというのではなく、自分で発達障害ではないかと思うようになり、医師に診断してもらったという経過をたどりました。
それなのでどこか具体的な場面というものがないのです。
算数障害については昔から数が苦手で、小学校高学年の算数のころから成績が悪く、祖父に算数を教わった時に「なんでこんなことも分からないんだ!」と言われ、泣いてしまったことを覚えています。
中学生のときは図形の科目で三学期通信簿にゼロがついたこともありました。
中国から帰国した後、クリニックへ・・
2018年に日本に帰ってきて、数カ月後に近所の心療内科のクリニックに行って、発達障害の人の話を聴いて、自分もそうではないかと思っていると話し、医師に診断してもらいました。
私の話を聞いた医師は、家族についていくつか質問をしてから、「あなたは確かに発達障害ですね」と診断をしてくれました。
また別なときにそのクリニックに行ったとき、置いてあった発達障害に関する本をぺらぺらと見ていたら、発達障害の一種に算数障害というものがあると書いてありました。
それで医師に、昔から数が苦手であったことを話したところ、算数障害でもあると言われました。
妻や家族には発達障害であることを伝えています
けっこう家族や周囲の人には平気で話しています。
今は離婚してしまった妻には、2011年に私が自分が発達障害ではないかと思ったときに話しました。その当時彼女は「この人は何を言っているんだろう」と思ったそうですが、その後は「発達障害だと確信するようになった」そうです。
もともとの家族、母や弟にも言いましたが、こちらは「はあ?」という感じ。
友人たちは「あまりそんなふうな感じがしない」と言う人が多いです。
その後の生活に特に変わりはない
あまり生活は変わっていません。
自分の生きづらさに発達障害というレッテルがついて、すこしホッとしました。
ただ発達障害も原因の一つとなって離婚に至ってしまい、またこれまた算数障害も原因の一つになってお金の問題を抱えたりしまったりしています。
そういえば元妻は「発達障害を治してくれないと、一緒に暮らせない」と言っていました。
持って生まれたものを認めること
過去の自分には
自分の抱えている問題が、自分の性格の歪みとかではない。
(算数障害については)勉強を怠けているからではないんだ。
持って生まれたものなんだからしょうがないんだよ。
と伝えてあげたいです。
でもそれだけでなくて、家族や周囲の人に、僕はこういう障害を持っているんだから、そのことをもっと理解してあげてほしい、と伝えたいです。
発達障害の当事者の集まりに1回行ったことがあります。
僕は同じ障害の人たちに会えて、ただただ嬉しかった(そういう障害は自分一人ではないと実感できたので)のですが、問題がもっと深刻な人がいることも分かりました。
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