今回はASDと診断された女性の半生をご紹介します

発達障害がわかった原因はどんなものだったんですか?

主治医に指摘されました
私は北海道で暮らす専業主婦でした。
その時に通っていた精神科の主治医に指摘され発覚しました。
当時、発達障害という言葉がまだ世間にそれほど広まってない頃だったと思います。自分がそうだとも知らずに生きてきました。
主治医に言われた時は、幼少期からずっと生きづらさを感じてましたが、その原因の一つがわかったことで救われた気分になりました。
その日のうちに元夫と母親に打ち明けました。元夫の反応はイマイチです。私がわかる範囲で説明しましたがピンときていませんでした。
でも母親はすぐに理解してくれましたので、私としても心強い見方ができたと感じホッとしました。
発覚してから二年後に離婚し、その後は東京の実家で暮らしてます。
東京に引っ越してからも病院に通っています。うつ病がひどく、母親に病院に付き添ってもらいましたが、現在は一人で通院できるようになりました。
手帳、障害年金、自立支援は全て受けています。
役所へは母親の付き添いで行きました。
障害年金においては社労士さんに申請書作成のお願いをし手伝っていただきました。
自分は申請書の下書きを作成しましたが、その時はいろんな過去の辛い思いを書かないといけませんので苦痛でした。
申請には時間かかりましたが、審査に通ったので今は助かっています。

他の人にカミングアウトはしましたか?

元夫と母に話しました
それぞれ反応は違い、元夫は真っ向から否定はしませんでしたが、
「誰でもよくあること」で話がそれ以上進みません。
私もそれ以上話す気持ちに慣れませんでした。
身近な人でも必ずしも理解してくれるわけではないので残念な気持ちです。
母はすぐに理解してくれまして今でもよく相談しています。
一人でも理解者がいることは、その後の生きづらさも変わってくるので話せてよかったです。

診断後の生活はどうでしたか?

発覚して二年後に離婚し、東京の実家に戻って生活を始めました
うつ病を良くしようと新しく病院を探し、まずは治療に専念して過ごしました。
現在通ってる病院でもASDのことを伝えています。
うつ病もだいぶ良くなり、出来ることがないかなという思いが出てきたので、就労継続B型の福祉事業所を社会復帰の練習の場として通所していました。
1年半ほど訓練した後、現在は週1日外でアルバイトしています。
週3日出勤したこともありますが、すごく疲れやすくなったため日数を減らしました。
この経験により家で稼げることをしようとクラウドソーシングを始めました。
以前と比べると一進一退といった感じで少しづつですが状況は改善され、少なくとも自己否定をしなくなったと思います。

過去の自分や、他の障害者の方に伝えたいことはありますか?

自分だけで抱え込まないで人やサービスを頼ってください
29歳で発覚したのでもっと早く発達障害のことを知りたかった思いがあります。
発覚前の自分にもしアドバイスあげるとしたら、
八方塞がりでうまくいかなくても相談できる場所があるので、焦らず生きてほしいと思います。
誰にも相談できないからといって自分だけで抱え込まず、まずは福祉に頼る手段を取って欲しいです。
人が相手なので相性もありますし、たらい回しにあって嫌なこともありますが、
何かしら情報を聞くことはできます。
そうすることで次の行動に繋がります。
また少しでも辛かったら、重症になる前に精神科の先生に頼って欲しいと思います。
そこでも相性の良い先生を見つけるまで希望は捨てないで欲しいです。
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