幼少期から苦労が絶えない発達障害女性の人生|私と会ってよかったと思われるような人になりたい

広汎性発達障害の女性がどのように生きてこられたかのお話を紹介します

スポンサーリンク

幼少期から問題行動を起こしていました

幼少期から多動や突発的な行動をすることがあり、小さい子の泣き声に快感を覚えるようになり、わざと泣かせたりと問題を起こしていました。

幼稚園でもさまざまな問題がありましたが、周囲の人のお陰で障害特性が治まってきていました。

小学生になった頃からは、「周りに合わせなくては!」という思いが強くなり、集団から浮くことは少なくなりましたが、いつもどこかで我慢しているので、常に教室に居続けること、毎日学校に通うことにストレスを感じていました。

小学5年生のときに、突然我慢の限界になり、学校のことを考えるだけで吐き気を催すようになり、不登校となりました。
小6のときに担任の先生から不登校の人が多く通う「児童病院」を紹介され、そこで今までの経過から発達障害と診断されました。
学校の先生などから障害を指摘されたことはありませんでした。

習い事のスイミングも休みがちになり、家にこもって外に出ないことが多くなってきた頃でした。

病院には中学生のころからしばらく通院していませんでした

でも、高校のときに毎日朝に起きて同じように学校に通い続けることや、行事などのストレス、先生との関係の悪化から「妄想状態」と「鬱」を起こしてしまいました。

そして、発達障害と鬱を診てくださる病院に通院し始めました。

約9年ほど通っており、投薬とカウンセリングを主に受けています。
大人になってからも社会生活がうまくいかないことなどから手帳(精神障害者福祉手帳)と障害年金、自立支援医療を受けています。

家族の力も借り、なんとか手続きをスムーズに進めることができました。
通院していることは、親しい友人以外には伝えていません。

親しい友人にカミングアウト

家族は元々知っており、近い親族(叔父叔母)と親しい友人にカミングアウトしました。
親族からあからさまな差別はありませんが、私が障害者として生きていくことに戸惑いの気持ちは抱いているようです。

友人には障がいをカミングアウトしたことでますます理解者になってもらえました。

学校には障がいのことをカミングアウトすることで先生方から手を差し伸べてもらえるようになりました。

カウンセリングや密な声がけをしていただくことで、戸惑いや困っていることを話せるようになり、安心することができました。

紆余曲折あり、現在は事業所で仕事をしています。
理解ある環境なので、無理をし過ぎることもなく、ダウンしたり寝込んだりすることも減りました。

壁に当たったら対策を立てることが大事

何か失敗したり、壁にぶち当たることもあると思いますが、周りのせいにするのではなく、
なぜうまくいかなかったのか?どうすればうまくいくのか?今後に向けて対策を立てることが大切です。

同じ失敗は二度としないように。そのことが自分を守ることにも繋がると思います。

そして常に「ありがとう」の気持ちを持ち素直な気持ちでいることも大切です。
年を重ねるにつれて意固地になりがちですが、苦手なことはあるので周囲の助けが必要になることもあります。

支援してくれる方が気持ち良く関われるように、私と会ってよかったと思ってくれるような自分でいたいです。
決して「やってもらって当たり前」にはならないように心がけたいです。

発達障害体験談
スポンサーリンク
副業のススメ

コメント